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シャンプノワのちょっとイイ話

シャンパーニュ地方の人々を、フランス語でシャンプノワと呼びます。

一般にフランス人は陽気な人が多いと言われていますが、
この地方の人々はシャイで努力家ぞろいと言われています。

そんなシャンプノワの深いぃ~話、見てみましょう。







~東日本大震災に関して~
2011年3月28日、シャンパーニュ地方で日本を支援するディナーが開催されました



2011年3月11日、東日本大震災発生。

この日を境に、
わたしたちは普通に食事をしたり、買い物をしたり、
電車に乗ったりできる平凡な毎日が
いかに幸せなのかを痛感することとなります。

今回の震災に関して、
シャンパーニュ地方の方々も
チャリティーディナーを開催し、
日本に対し支援をしてくださっています。

そのディナーは、
ランスの高級レストラン「レ・クレイエール」のエルヴェ・フォール、
ランス・ガストロノミー協会のアレキサンドル・バデルの
よびかけで実現しました。

開催日は3月28日。
約100人が出席、
一人53000円の会費の98%と、
参加シャンパーニュメゾン、
ロデレール、ビルカールサルモン、
テタンジェ、ポメリー、デュヴァル・ルロワなどが持ち寄った、
貴重なヴィンテージシャンパーニュのオークションによる売り上げをあわせた
義援金は15万ユーロ(1800万円)にのぼりました。
この義援金はフランス赤十字を通して日本赤十字社におくられたとのことです。

会の模様はこちらの
TRIPPA通信でも紹介されています。
http://trippa.cocolog-nifty.com/trippa/2011/04/post-d593.html

余談ですが、
このチャリティーディナーが開催された
レストラン「レ・クレイエール(通称ボワイエ)」に
私は行ったことがあります。
本当にすばらしいレストランです。

私が訪れたときの模様はこちらでご紹介しています。
シャンパーニュ探訪記


遠いシャンパーニュ地方の方々が
このように支援をしてくださるのは
日本人として本当にありがたく、こころから嬉しいことですね。



「上を向いて歩こう」 /坂本 九  (作詞:永六介  作曲:中村八大)

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
思い出す 春の日
一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう にじんだ星を数えて
思い出す 夏の日
一人ぽっちの夜

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぽっちの夜

【口笛】

思い出す 秋の日
一人ぽっちの夜

悲しみは星のかげに
悲しみは月のかげに

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く
一人ぽっちの夜
一人ぽっちの夜



被災地で一番、歌われたのがこの「上を向いて歩こう」だそうです。
いまなお、被災地では苦しんでおられる方がたくさんいらっしゃいます。
被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。








ブリュノ・パイヤール氏のちょっとイイ話
・・・成功のみなもとは、超ポジティブ思考だった!



シャンパーニュというのは、
つくるのに何年もかかりますし、
本当に手間がかかるお酒です。

シャンパーニュ地方は緯度が高く、
「ブドウ栽培の北限」
と言われるような寒い、厳しい地方にあります。
もちろん自然が相手の農業ですから、
良いブドウがいつもとれるわけではありません。

さらに、通常のブリュットでも最低15ヶ月、
平均でも4年は熟成させているので、
それまで出荷できない(=売れない)のです。

また、「経営」という意味でも、
大手資本がつぎつぎと中小のブドウ栽培業者を買収するなど
中小企業にとってはとてもキビシイ状況にあり、
戦後、シャンパーニュづくりを始めて 成功した人は誰もいなかったと言われています。


でも実は・・・

たった一人だけいるんです!

成功しちゃった人が!!!



その名も
Bruno Paillard(ブリュノ・パイヤール)氏


ブリュノ氏は1975年メゾンを立ち上げ、
1981年からシャンパーニュを販売しています。
売上量は35万本と小さめながらも、95%近くを輸出。

バランスの良さが支持され、
あの天才シェフ、ロブション氏も大絶賛

ロバートパーカー氏も4つ星を贈っているほどなんです。

ワイン評論家として有名なマスター・オブ・ワインの一人、
ジャンシス・ロビンスン女史も 結婚式にこのシャンパーニュを使用しています。


でも、でも、いったいどうやって???


だって、ブドウ畑もなければ、 醸造する場所もない。
熟成のために寝かせておくカーヴもなかったんですよ。
もちろん、お金もありませんでした。


ところが・・・

TV番組のインタビューで
成功の秘訣を聞かれたブリュノ氏が答えたことは
意外なほどシンプルでした。

「だって、不可能だって思わなかったから。」


(こんな答え、アリなんですかね???)


「とにかく申し上げられるのは、実際にできてしまったということです。」



超前向き・・・、なんというポジティブシンキングなのでしょう!



独立する前は、 家族で経営する会社で6年間、
シャンパンの仲買の仕事をしていたブリュノ氏。

仕事を通じて、
最高のブドウ畑、最高のブドウ栽培者、最高のブドウについて 知識を得ることができました。

しだいに

「自分で素晴らしいシャンパーニュをつくってみたい」

と考えるようになったそうです。

家族や会社に話をしたものの、父親を説得するにはいたらず。
結局、会社を辞め、
1975年、自分でシャンパーニュメゾンを立ち上げることになりました。

まず最初にやったことは、
優れたブドウ栽培業者を探し、
彼らにブドウを売ってくれるよう、
ひたすら説得することでした。
最初はホントにこれだけだったそうです。

いいブドウのストックがあれば それが担保となり、
銀行がお金を貸してくれると彼は考えたのです。

あとは、醸造場所やストック用のカーヴは同業者に貸してもらい、
少しづつ、メゾンをかたちづくっていきました。

1981年にはついに自分のシャンパーニュを販売。
現在では、おしもおされぬ有名ブランドとなっています。



千里の道も一歩から。成功の秘訣は、超ポジティブシンキング!









ピンチはチャンス!



シャンパーニュ地方は2度の大戦で大変な被害をこうむっています。
1814年、エペルネにあるモエ・エ・シャンドンのセラーも、コサックとプロシア軍によって荒らされてしまいました。
兵士が莫大な量のシャンパンをつぎつぎと略奪していきます。

精魂こめて作り上げたシャンパンを、出荷間近だというのに敵が目の前で奪っていくんです。

ふつう怒りますよね?
もしくは、コワすぎて隠れるので精一杯かもしれません。


でも、このときモエ社の3代目であったジャン・レミーは違いました。
彼はこう言ったそうです。



「いま私から略奪している兵士たちは、結局は私の富を築いてくれることになる」と。


彼はつづけてこう言いました。

「私のワインを飲み、その美味を知った彼らは、故郷に帰ってから、私の会社の名を広めてくれるはずだ」


結果、どうなったのでしょうか?


彼の言った通り、
モエ・エ・シャンドンの名前は広まり、
現在ではヨーロッパ各王室御用達、
年間出荷量3000万本以上、
あらゆる意味でシャンパーニュ地方No,1のメゾンになってしまったのです。




まさにピンチよ、来い!ですね。

困ったことは「良いこと」のはじまり!


モエ・エ・シャンドンについて詳しくはこちら








世界一カッコイイ男の死に方


ランソンの先代当主、ヴィクトール氏の話です。

ヴィクトール氏は従業員とのふれあいを大切にし、週に2回はブドウ畑とカーヴを歩き回っていたそうです。
第二次大戦中の暗い時代にも、ランソン社をしっかりと支えました。
また、いつも優雅で、いくつになっても決して老けなかったそうです。


このヴィクトール氏の亡くなり方が最高にカッコイイんです。

戦争で英雄死?

違うんです。
第一次大戦時には砲兵隊の将校として、18か月にもおよぶ戦を生き延びた方です。

ではどうだったのでしょうか?

それは1967年のことです。

ヴィクトール氏は98歳になっていました。
かかりつけの医者がいつものように往診に来ました。
ヴィクトール氏もいつものように仕立ての良いスーツを着こなし、医者を招き入れます。
シャンパーニュで医者をもてなし、自分にも注ぎました。

二人はシャンパーニュを飲みながらほんの少し話をしていましたが、
ヴィクトール氏はこう切り出しました。


「申し訳ないが先生、あなたにご迷惑をかけなきゃいけないようだ。」


そういって亡くなったそうです。

片手にはシャンパングラスをにぎったままでした。


ヴィクトール氏の息子さんで、ランソンの現当主でもあるピエール氏は、
この逸話を微笑みながら話されるそうです。

それもいい思い出として。



死が何であるかを子供に伝えるのは、大人の役目です。 by 日野原重明 (聖路加国際病院理事長)


ランソンについて詳しくはこちら






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